【私立叢雲学園怪奇譚・第二部〔本章〕50】
2004年9月13日 【小説】私立叢雲学園怪奇譚[第49回のあらすじ]
◇郷田の話した美月の姿は、既に人としての良識を失っているように思えた。それは、己の欲望に支配された怪物そのものなのか……。
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<本編>
雨は夜半過ぎには止んだようだ。昨日とはうって変わったように清々しい青空が広がり霧もない。身体の痛みは残っているはずだが気分の良いのだろう、目を覚ますなり優樹は身体を動かしたがったが珍しく早起きをして様子を見に来たアキラにあっけなく押さえ込まれてしまった。
「今日は大人しく休んでろ、俺には逆らえないはずだよなぁ?」
教えた合気道をあのように使われたアキラが、言葉で責めはしないが態度に怒りを含めて諫めると、優樹はしょんぼり毛布を被った。その様子に苦笑しながら遼は、依然と何ら変わらない姿に少し安堵する。たとえカラ元気であれ、暗く落ち込んでいるよりはいい。何よりも大気中に、自分と戦うと決めた優樹の強い気概を感じることが出来るのだ。
本棟に朝食をとりに行くと食堂に美月の姿はなく、代わりに及川と冬也が給仕に付いていた。朝食の用意は美月の仕事で、及川は昼から郷田は夜から仕事に就くはずである。訝りながら遼が用意された席に座ると、及川が御飯と汁椀を運んできた。
「お早うございます……美月さんは?」
「美月ちゃんは町に用があるからって、今朝早く出かけたわ。何か御用かしら?」
昨日の経緯を聞いているのだろう、遼の質問に答えた及川の声は少し固い。
「用があるわけではないんですけど……。今日、出かける事は以前から決まっていたんですか?」
「えっ? いいえ……夕べ遅くに、『明日の朝早く出かけるから朝食の準備をお願い』って頼まれたのよ。どうしてそんなことを聞くの?」
「……すみません、何でもないんです」
少なからず美月のために怪我人が出たのだ、遼達と顔を合わせ難いのは当然だった。この地を去る前に美月と『蜻蛉鬼』の関わりを明らかにして、郷田だけではなくオーナーの緒永満彦や及川に危険を示唆するべきか? しかし、どうすれば信じて貰えるのだろう……邪念に囚われた美月は自覚があると確信していた。郷田を交えて追求するべきか? それとも、これ以上の関わりを避けて去るべきだろうか……。朝食に手を付けず考え込んでいると、厨房に戻り掛けた及川は足を止め遼に向き直った。
「あの男の子……怪我の具合はどう? 病院に行かなくてもいいのかしら?」
「優樹の事なら大丈夫です、ご迷惑掛けました」
「迷惑だなんて……だって悪いのはあの、変な人たちでしょ? お願いだから美月ちゃんを責めないであげてね」
「美月さんのせいだなんて思ってません、その場にいた僕も喧嘩になるのを止められなかったんだから……」
遼が無理に笑顔を作ると、及川が安堵の表情になった。
「美月ちゃん、かなり気にしてるようなの……。実は今日、町に降りたのはコテージにある医薬品じゃ役に立たないからって、冬也さんが以前掛かってた接骨院まで痛み止めのお薬を貰いに行ったのよ。一番近い道路が昨夜の雨で水浸しになって、回り道をすると片道二時間くらい掛かるの。でも、早く手に入れるために6時前には車で出かけたみたい」
及川の言葉に、内心で美月を責めていた気持ちが少しだけ和らいだ。悪いのは美月でなく、湖の邪気だ。だがどうすることも出来ない……。及川に伝えられない歯痒さに遼は苛立つ。何か切っ掛けを掴む事が出来ないだろうか?
「及川さんも、この土地の出身なんですか?」
朝食に箸を付けながら遼が尋ねると、及川は微笑んだ。暖かく安らぎを感じる笑顔に、郷田が及川を選んだ理由が少し解る気がした。
「そうよ、ただ私は町の方に住んでたから大学のテニスサークルで『美月荘』を利用するまで、美月さんや冬也さんに会った事はなかったわ」
「郷田さんは昔から、美月さんと冬也さんを良く知っていたそうですね……」
及川は美月に対してどのような感情を抱いているのだろうか? 内心で探る様に、表情を伺い見る。しかし嬉しそうに目を輝かせた及川に、遼は意表を突かれた。
「ええ、だから子供の頃の話を良く聞かせてもらうの。美月さんと冬也さんが恋人同士の様に仲が良かったとか、美月ちゃんは身体が弱くて泣きながらマゴタロウを飲んでいたとか……。美月ちゃんのお母さんは病気がちで、早くに亡くなったんですって。だからオーナーの緒永さんは美月ちゃんを丈夫にしたかったらしいわ、今でも時々気分が悪くなって休んだりすることもあるけど。美月ちゃんにも支えてくれる素敵な人が早くできると良いのにね……あれだけ美人だから結構交際申し込まれるのよ、ところが首を縦に振らないの」
どうやら及川は、素直で人の良い性格らしい。お喋りの内容からは、美月の気持ちなど微塵も察してはいないようだった。それにしても、郷田の口からも出た『マゴタロウ』とは何か? 遼には優樹が説明してくれたヘビトンボの幼虫しか思い浮かばないが気に掛かる。
「あの……マゴタロウって薬の名前か何かですか?」
遼の質問に、及川はいたずらっぽく笑った。
「民間療法って言うのかしら? この地方ではヘビトンボの幼虫のマゴタロウ虫を焼いた粉を飲ませると、身体に良いと言われてるのよ。でも……今時そんなことする人はいないでしょうね」
途端に悪寒が走り、皮膚が粟立つ。もとより変わり食材は苦手だが、湖で見たヴィジョンまで脳裏に甦り意識が遠のきそうになった。
「どうしたの? 気分が悪いのかしら?」
「トンボの幼虫に咬まれて熱を出したことがあって……虫が苦手なんです、もう平気ですから」
心配して顔を覗き込んだ及川を小さな嘘でどうにか取り繕うと、安心させようと遼は小鉢に箸を付けた。
「ところで……これは何の佃煮ですか?」
「カワニナよ、珍しいでしょう?」
カワニナは淡水に棲む巻き貝の様なものだが、それを聞いて正気を保つことが出来そうになくなった遼は、及川に詫びると急いでトイレに駆け込んだ。
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◆「イナゴ」「カワニナ」「タニシ」、あたしも苦手ですし、食べたくないかも。でも、変わり食材は滋養強壮に効く物が多いことも確かです。
決して遼君がお上品なわけではなく、優樹の方が野生児なだけ(笑
◆ご感想をお気軽に
〔叢雲掲示板〕
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◇郷田の話した美月の姿は、既に人としての良識を失っているように思えた。それは、己の欲望に支配された怪物そのものなのか……。
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<本編>
雨は夜半過ぎには止んだようだ。昨日とはうって変わったように清々しい青空が広がり霧もない。身体の痛みは残っているはずだが気分の良いのだろう、目を覚ますなり優樹は身体を動かしたがったが珍しく早起きをして様子を見に来たアキラにあっけなく押さえ込まれてしまった。
「今日は大人しく休んでろ、俺には逆らえないはずだよなぁ?」
教えた合気道をあのように使われたアキラが、言葉で責めはしないが態度に怒りを含めて諫めると、優樹はしょんぼり毛布を被った。その様子に苦笑しながら遼は、依然と何ら変わらない姿に少し安堵する。たとえカラ元気であれ、暗く落ち込んでいるよりはいい。何よりも大気中に、自分と戦うと決めた優樹の強い気概を感じることが出来るのだ。
本棟に朝食をとりに行くと食堂に美月の姿はなく、代わりに及川と冬也が給仕に付いていた。朝食の用意は美月の仕事で、及川は昼から郷田は夜から仕事に就くはずである。訝りながら遼が用意された席に座ると、及川が御飯と汁椀を運んできた。
「お早うございます……美月さんは?」
「美月ちゃんは町に用があるからって、今朝早く出かけたわ。何か御用かしら?」
昨日の経緯を聞いているのだろう、遼の質問に答えた及川の声は少し固い。
「用があるわけではないんですけど……。今日、出かける事は以前から決まっていたんですか?」
「えっ? いいえ……夕べ遅くに、『明日の朝早く出かけるから朝食の準備をお願い』って頼まれたのよ。どうしてそんなことを聞くの?」
「……すみません、何でもないんです」
少なからず美月のために怪我人が出たのだ、遼達と顔を合わせ難いのは当然だった。この地を去る前に美月と『蜻蛉鬼』の関わりを明らかにして、郷田だけではなくオーナーの緒永満彦や及川に危険を示唆するべきか? しかし、どうすれば信じて貰えるのだろう……邪念に囚われた美月は自覚があると確信していた。郷田を交えて追求するべきか? それとも、これ以上の関わりを避けて去るべきだろうか……。朝食に手を付けず考え込んでいると、厨房に戻り掛けた及川は足を止め遼に向き直った。
「あの男の子……怪我の具合はどう? 病院に行かなくてもいいのかしら?」
「優樹の事なら大丈夫です、ご迷惑掛けました」
「迷惑だなんて……だって悪いのはあの、変な人たちでしょ? お願いだから美月ちゃんを責めないであげてね」
「美月さんのせいだなんて思ってません、その場にいた僕も喧嘩になるのを止められなかったんだから……」
遼が無理に笑顔を作ると、及川が安堵の表情になった。
「美月ちゃん、かなり気にしてるようなの……。実は今日、町に降りたのはコテージにある医薬品じゃ役に立たないからって、冬也さんが以前掛かってた接骨院まで痛み止めのお薬を貰いに行ったのよ。一番近い道路が昨夜の雨で水浸しになって、回り道をすると片道二時間くらい掛かるの。でも、早く手に入れるために6時前には車で出かけたみたい」
及川の言葉に、内心で美月を責めていた気持ちが少しだけ和らいだ。悪いのは美月でなく、湖の邪気だ。だがどうすることも出来ない……。及川に伝えられない歯痒さに遼は苛立つ。何か切っ掛けを掴む事が出来ないだろうか?
「及川さんも、この土地の出身なんですか?」
朝食に箸を付けながら遼が尋ねると、及川は微笑んだ。暖かく安らぎを感じる笑顔に、郷田が及川を選んだ理由が少し解る気がした。
「そうよ、ただ私は町の方に住んでたから大学のテニスサークルで『美月荘』を利用するまで、美月さんや冬也さんに会った事はなかったわ」
「郷田さんは昔から、美月さんと冬也さんを良く知っていたそうですね……」
及川は美月に対してどのような感情を抱いているのだろうか? 内心で探る様に、表情を伺い見る。しかし嬉しそうに目を輝かせた及川に、遼は意表を突かれた。
「ええ、だから子供の頃の話を良く聞かせてもらうの。美月さんと冬也さんが恋人同士の様に仲が良かったとか、美月ちゃんは身体が弱くて泣きながらマゴタロウを飲んでいたとか……。美月ちゃんのお母さんは病気がちで、早くに亡くなったんですって。だからオーナーの緒永さんは美月ちゃんを丈夫にしたかったらしいわ、今でも時々気分が悪くなって休んだりすることもあるけど。美月ちゃんにも支えてくれる素敵な人が早くできると良いのにね……あれだけ美人だから結構交際申し込まれるのよ、ところが首を縦に振らないの」
どうやら及川は、素直で人の良い性格らしい。お喋りの内容からは、美月の気持ちなど微塵も察してはいないようだった。それにしても、郷田の口からも出た『マゴタロウ』とは何か? 遼には優樹が説明してくれたヘビトンボの幼虫しか思い浮かばないが気に掛かる。
「あの……マゴタロウって薬の名前か何かですか?」
遼の質問に、及川はいたずらっぽく笑った。
「民間療法って言うのかしら? この地方ではヘビトンボの幼虫のマゴタロウ虫を焼いた粉を飲ませると、身体に良いと言われてるのよ。でも……今時そんなことする人はいないでしょうね」
途端に悪寒が走り、皮膚が粟立つ。もとより変わり食材は苦手だが、湖で見たヴィジョンまで脳裏に甦り意識が遠のきそうになった。
「どうしたの? 気分が悪いのかしら?」
「トンボの幼虫に咬まれて熱を出したことがあって……虫が苦手なんです、もう平気ですから」
心配して顔を覗き込んだ及川を小さな嘘でどうにか取り繕うと、安心させようと遼は小鉢に箸を付けた。
「ところで……これは何の佃煮ですか?」
「カワニナよ、珍しいでしょう?」
カワニナは淡水に棲む巻き貝の様なものだが、それを聞いて正気を保つことが出来そうになくなった遼は、及川に詫びると急いでトイレに駆け込んだ。
:::::::::::::::::::::::::::::
◆「イナゴ」「カワニナ」「タニシ」、あたしも苦手ですし、食べたくないかも。でも、変わり食材は滋養強壮に効く物が多いことも確かです。
決して遼君がお上品なわけではなく、優樹の方が野生児なだけ(笑
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