◆自分は正しいと信じてきた。人として間違った生き方はしていないと。
だがそれは脆く崩れやすい自信だった。
間違いを犯す人間だって、それが正しいと思ったから行動に出たはずなんだ。
あたしの正義が、どれだけ本当の正義かなんて誰にも、あたし自身にも解らないじゃないか。
崩壊しそうになった自我。言葉一つが与えうる可能性を考慮し、何も言えなくなっていった。
小学校にはいると、子供が遊びに来ても普通親はついてはこない。しかし今日は上の子のお友達が遊びに来た時、何故かお母さんが一緒に来た。喜んで招き入れ、当たり障りのない世間話を始めたところに、また、違うお友達とお母さんが遊びに来てくれた。二人とも以前から、遊びに来てと誘っていたし、タイミングが良いなと思いながらお茶を出す。
学校の事などを話していたら、子供会費を集めに来たというお母さんが訪ねてきた。
「ついでに、お茶を飲んでいきなよ。今日は暑いから、冷たいモノを用意するから」
そう言って招き入れ、お母さんがあたしを除いて4人。子供が我が子も含めて8人。
最近凹んでいたし、このメンバーなら、あたしが責められる理由がないので楽しく会話。
ところが実は申し合わせて、偶然を装い、彼女たちは今日来てくれたのだ。
「あなたは悪くない」
そう伝えてくれるためだけに。
以前から、例の人は色々あった人だった。みんな知っていて、あたしを心配してくれていた。大変だったね、と、涙ぐんでくれたお母さんもいた。
引っ越してきてまだ1年。誰が信用できるか解らなかった。だから誰にも言えずに、ただ黙って我慢していた。
ヘタに誰かに愚痴を漏らせば、全ての人から拒絶され、居場所が無くなると思っていた。なにより、子供の居場所が無くなるのが怖かった。
ちゃんと解ってくれていたんだ、よかった。
孤独じゃないんだ。
ネットやメッセでエールをくれた人、涙ぐんでくれたお母さん、戦うなら味方すると言ってくれたお母さん、いつでも吐き出しに来なさいと言ってくれたお母さん、相手を追い出すなら一緒にやろうと言ってくれたお母さん(それは辞退しましたよ、もちろん)
みんな忙しいのに、たくさんはげましてくれた。
嬉しくて、嬉しくて、みんなを送り出してからビールを開けた。
すごく苦かった。
嬉しくても苦いんだね、泣きながら飲むビールって……。
だがそれは脆く崩れやすい自信だった。
間違いを犯す人間だって、それが正しいと思ったから行動に出たはずなんだ。
あたしの正義が、どれだけ本当の正義かなんて誰にも、あたし自身にも解らないじゃないか。
崩壊しそうになった自我。言葉一つが与えうる可能性を考慮し、何も言えなくなっていった。
小学校にはいると、子供が遊びに来ても普通親はついてはこない。しかし今日は上の子のお友達が遊びに来た時、何故かお母さんが一緒に来た。喜んで招き入れ、当たり障りのない世間話を始めたところに、また、違うお友達とお母さんが遊びに来てくれた。二人とも以前から、遊びに来てと誘っていたし、タイミングが良いなと思いながらお茶を出す。
学校の事などを話していたら、子供会費を集めに来たというお母さんが訪ねてきた。
「ついでに、お茶を飲んでいきなよ。今日は暑いから、冷たいモノを用意するから」
そう言って招き入れ、お母さんがあたしを除いて4人。子供が我が子も含めて8人。
最近凹んでいたし、このメンバーなら、あたしが責められる理由がないので楽しく会話。
ところが実は申し合わせて、偶然を装い、彼女たちは今日来てくれたのだ。
「あなたは悪くない」
そう伝えてくれるためだけに。
以前から、例の人は色々あった人だった。みんな知っていて、あたしを心配してくれていた。大変だったね、と、涙ぐんでくれたお母さんもいた。
引っ越してきてまだ1年。誰が信用できるか解らなかった。だから誰にも言えずに、ただ黙って我慢していた。
ヘタに誰かに愚痴を漏らせば、全ての人から拒絶され、居場所が無くなると思っていた。なにより、子供の居場所が無くなるのが怖かった。
ちゃんと解ってくれていたんだ、よかった。
孤独じゃないんだ。
ネットやメッセでエールをくれた人、涙ぐんでくれたお母さん、戦うなら味方すると言ってくれたお母さん、いつでも吐き出しに来なさいと言ってくれたお母さん、相手を追い出すなら一緒にやろうと言ってくれたお母さん(それは辞退しましたよ、もちろん)
みんな忙しいのに、たくさんはげましてくれた。
嬉しくて、嬉しくて、みんなを送り出してからビールを開けた。
すごく苦かった。
嬉しくても苦いんだね、泣きながら飲むビールって……。
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