[第25回のあらすじ]
◇一夜が明けて、その日の空模様は暗い。湖を散策するために本棟で遼は杏子を待っていた。あいにくの天気に不満そうな表情で現れた杏子は午後に遼をテニスに誘い、男の子同士の競い合う気持ちを知り意外に思う。

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<本文>

 入れ替わりにリビングに現れた日下部が、マガジンラックから数日分の新聞を手に取り思いついたように顔を向けた。
「やあ、おはよう。昨夜はすまなかったね……ところで君の名は? 差し支えなければ教えてくれるかな?」
「おはようございます……日下部さん、僕は秋本遼といいます。昨夜の事でしたら僕ではなく、優樹に謝って下さい」
 ほう、と、日下部は一瞬眉根を寄せた。が、すぐに笑顔に戻る。
「あの少年は優樹君というのかい? 確かに君の言うとおりだ、謝っておこう。彼は今どこに?」
 日下部が辺りを見回したが、その姿はない。
「多分ロードワークか、素振りだと思います」
「素振りを? ああ剣道をやっているんだね、道理で良い動きをしていたな」
 感慨深く頷いた様子に、遼は昨夜の優樹の言葉を思い出した。
『あの、日下部というヤツ、連れが手を出すのをわかっていて止めなかった』
 日下部と鳥羽山の関係が一朝一夕で無い事は、昨夜からのやり取りで推察できた。ならばあの時、すぐ後にいた日下部には鳥羽山の行動が読めたはずである。しかし、止めようとはしなかった。
「鳥羽山さんが手を出しそうだと知っていて、何故、見ていたんですか?」
 一瞬、驚いたように目を見開き、真顔になった日下部の口元からは既に親しげな笑みは消えていた。かわりに浮かべた冷笑は、ぞっと、背筋を凍らせるような凄みがあった。
「君は見かけによらず、はっきりと物を言うんだね。あの少年、優樹君といい、なかなか興味深い」
 臆する様子もなく見返す遼に、日下部はまた柔和な表情に戻る。
「結果として土が付いたのは鳥羽山の方だったが、友人が怪我をしかねない状況を私が止めなかった事に怒っているのだね。だが、優樹君を一目見ただけで鳥羽山の敵う相手ではないと、わかっていた」
 確かに痩せぎすで背ばかりがひょろりと高い鳥羽山からすれば、優樹に分があることは見た目に歴然としている。
「……たとえ体格で優樹の方が勝っていたとしても、黙って見過ごして良いことでは無いでしょう?」
「体格?」
 遼の抗議に、くっ、と、咽を鳴らして低く呟いた日下部の口調が、いきなり変わった。
「そんな事じゃねぇよ。おまえ、連んでるくせに気が付いちゃいねぇのか? 鳥羽山はなぁ、確かに喧嘩っ早いが、誰かれ無く手を出しゃしねぇんだよ。窮鼠猫を噛むって言うだろう? アイツは本能で、脅えちまっただけなのさ」
「……鳥羽山さんが脅えた? いったい何に、脅えたと言うんですか?」
 不快な表情を浮かべた遼を、日下部は嘲るように笑った。
「ふん……まあ、おまえのような上品な坊やに、わかるろうはずもないか」
「どういう、意味だっ!」
 日下部の態度に怒りが込み上げ、遼は拳を握りしめた。背後で事態を案じた佐野が立ち上がると、その方向に視線を投げ、日下部は歪んだ笑みを耳元に寄せて囁いた。
「気を付けることだな、優樹ってヤツの強さは……諸刃の剣だ」
 すっと、脇を抜けて行く気配に、遼は何も言えず立ちつくす。
「……諸刃の、剣?」
 日下部の言葉に、漠然とした不安が徐々に形を成してゆくのが解った。そして新たに生じたもの、それは……恐怖だった。
「ふざける……なっ、貴男に何がわかるんだ!」
 肩越しに振り返ると、丸めた新聞を手にリビングを出ようとした日下部が、一瞬、足を止めた。その、背中が笑っている。
 かっ、と、頭に血が上り、なおも異論を唱えようとする遼の手を佐野が掴んだ。
「よせ秋本、相手にするんじゃない。おまえらしくないぞ……冷静になれ」
 佐野の言葉に頷きながらも、からかうように頭上に新聞を掲げて立ち去る日下部の後ろ姿から、遼は目を離す事が出来なかった。
「僕が……一番良く優樹を知っている。あの男の言うことは……デタラメだ。あり得ない、彼は……優樹は……」
 その危うさに、気が付いていなかった訳ではない。遼の脳裏に振り払おうとして振り払えないでいた光景が浮かぶ。優樹を取り巻く青白い焔、海底から聞こえた声、そして、炎上したクルーザー。思い違いだと、見間違えだと、信じたかった。しかし、忘れようとしても悪夢となって見ることさえあったのだ。
 鳥羽山が脅えたモノとは何なのか? 遼にも、いや、優樹本人でさえ気付いていない、それが日下部には解るというのだろうか?
「大丈夫か?」
 心配した佐野が、遼の顔を覗き込む。
「……すみません、もう大丈夫です」
「そうか? 顔色が悪いぞ。俺は叔父貴の仕事場で、あの手の人間を目にする事があるけど大抵は堅気じゃない。日下部さんがそうだと断言は出来ないが、関わらない方がよさそうだな」
 佐野の叔父は、千葉県警の報道カメラマンだ。大学でも写真部に所属する佐野とアキラが、事あるごとに報道部を訪れている事を遼も知っている。
「はい……」
 遼は、無理に笑顔をつくった。
「おおぃ、佐野。そろそろ出かけようぜ……って、どうかしたのか?」
 撮影に出かけるために佐野を呼びに来たアキラが、二人の様子に気が付き顔を曇らせた。
「遅いぞ、須刈。実は、日下部ってヤツが秋本に……」
「佐野先輩、今の事は……」
 えっ、と、佐野は目で問いかけたが、そのまま肩をすくめる。
「何かあったのか?」
 アキラの鋭い視線を遼は真っ直ぐに受け止めた。
「何もありません、ただ世間話をしていただけです」
 遼と佐野を交互に見比べ、アキラは笑顔になった。
「そっか、じゃあ問題なし。行こうぜ、佐野」
 そう言って目配せした先に、声を掛けにくそうに戸惑う杏子の姿がある。
「お邪魔虫は早々に退散、またな、秋本」
 からかうように笑ってアキラが佐野と出て行くと、少し頬を赤らめた杏子が怖ず怖ずと尋ねた。
「あのっ、……どうかしたの?」
「どうも……しないよ。それじゃあ湖に行こうか、杏子ちゃん。裏手から降りる道を案内してあげるから」
「うんっ」
 いずれにせよ隠し事の出来ない佐野の口から、日下部とのやり取りは伝わるに違いない。しかし、今は詮索をせず素直に立ち去ってくれたアキラに遼は感謝した。
 なぜなら画材道具を手にしようとした時、自分の指が震えている事に気付いたからだった。

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★滅多に感情的にならない遼君ですが、優樹君の事になるとちょっと可愛いいところが(笑)
日下部の言いたい事は、果たしてなんでしょう?

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