私立むらくも高校怪奇譚 1(第54回)
2003年10月9日◆今回からコメント控えます。続けて読んでみてください(^O^)
<本文>
マリーナに着くと、大貫は遼を車に残して自分が愛用している小型クルーザーに大型のシステムバッグを注意深く運び込んだ。このクルーザーは、大貫が会社を興したときに初めて購入した物で、型は古いがよく手入れされている。30フィートほどの船体にはフライングデッキが付き、コクピットにハードトップはなかったが、居心地の良さそうな小さなキャビンも付いていた。エンジンは最近になって4ストロークの船外型ガソリンエンジンを付けた為、出力も上がったと彼が田村に自慢していたのを遼は聞いたことがある。
出航の準備をする大貫を見ていた遼は、意を決し、車を降りてクルーザーに飛び乗った。既にエンジンはかかっている。
「降りるんだ、遼! 」
「……厭だ。このまま叔父さんを行かせられない。」
向こうから、サイレンを鳴らし神崎の車が近づいてくる。大貫はリモコンレバーを前方に倒し、ハンドルを握った。
桟橋から離岸していくクルーザーを見て、神崎は小さく舌打ちした。今一歩のところで間に合わなかったようだ。大貫の船は徐々にスピードを上げる。濱田が既に海上保安庁に連絡を入れたはずだが、外洋に出る前に追いつかなければ捕まえることが出来ないかも知れない。一度見失えば、このあたりの海に詳しい大貫が浅瀬を選んで姿を隠しながら逃走することは、容易に違いないのだ。
「神崎さん!この艇を借りましょう。」
田村が近くの係留所でナイトクルージングの用意をしていたクルーザーの持ち主に話をつけたようだ。係留ロープを外し、フェンダーと一緒に取り纏めて既に艇に乗り込もうとしている。
「助かります、田村さん。」
「なに、餅は餅屋、ですよ。この艇の持ち主は大貫と私の知人なんです。どうしても彼を捕まえたいが無線が通じないと言ったら快く貸してくれました。」
優樹も神崎に続いて艇に乗り込んだが、神崎はもう、何も言わなかった。
「この艇はツインエンジンで足が速く小回りも利きますし、フライブリッジですから大貫の船も見つけやすいはずです。すぐに追いついてみせますよ。少し、荒っぽい操縦になりますから気を付けてください。船は平気ですか? 」
田村の横で、神崎は自信なさそうに頷く。実際この手の小型艇に乗るのは初めてなのだ。優樹は心得たもので、バウスピリットで姿勢を低くし、田村の運転による揺れに備えているようだ。
離岸し、係留されている他のボートから距離を取ると、田村はすぐに加速した。大貫のクルーザーは既に内湾を抜けようとしていたが、その距離を田村は徐々に縮めていく。
神崎はホルダーから銃を取り出し、照準を決めやすいようにハンドレールで左手を固定するとその上に右手を添えた。
「神崎さん、大貫の艇は旧型のガソリンエンジンです。船外型ですから当てたら爆発するかも知れませんよ。」
エンジンを狙うであろう神崎に、田村は先に忠告する。
「それは、まずいな。遼君に怪我をさせるわけにはいかない。」
「船外に見えるプロペラ周辺を狙えば停船させられるかもしれません。」
目を凝らし、神崎は大貫のクルーザーのエンジンを見た。しかし激しく波立つ中に上下して見え隠れするプロペラを銃身の短いこの銃で狙うことなど、いくら腕に自信のある彼でも無理な相談だ。誤ってエンジンに当たれば、38口径の銃弾が爆発を誘発する可能性は大きい。
「難しい事言うなぁ……。他に停船させる方法はないんですか? 」
田村は暫く考えていたが、
「神崎さん、銃の腕に自信がありますか?」
と、彼の方を見ずに尋ねた。
「自慢じゃないが、以前いた機動隊狙撃班ではライフルだけじゃなく銃の方も信頼されていましたよ。」
「では大貫を撃ってください。」
「……。しかし相手は無抵抗だ。」
「気が付きませんか? 彼は叢雲学園のある岸壁に進路を取っている。あの周りは岩礁です。彼も傷を負えば操舵が思うようにならなくなってスピードを落とすでしょう。大貫が、自分だけならともかく遼君を危険にさらすとは思えません。ですが、悪くすると……。」
田村の言いたいことが、神崎にもわかった。
「よし、やってみよう。」
神崎は慎重にコクピットの大貫を狙った。
大貫のクルーザーが、叢雲学園のある岬に向かっている事に遼は気が付いていた。だが彼の意図するところは計り知れない。逃走するつもりならば外洋に向かうはずである。
「江里香を、返してあげようと思ってね。」
突然、それまで黙っていた大貫が口を開いた。
「返す? 」
聞き返す遼に彼は頷く。
「あの子の身体は叢雲学園下の岩礁の中に眠っている。本当はあの石膏像を返してやるつもりだったんだが、おまえがあれを見つけてしまったために出来なくなったんだよ。だからせめて、これを返そうと思ってね。」
大貫は足下のシステムバッグに手を置いた。遼には何の事かわからなかったが、その中には樹脂製の江里香の頭部像が入っていたのだ。
「おまえは死者の幻を見ることが出来るのだろう? 」
遼が大貫を見つめ返す。
「まだおまえが幼いとき、両親がそのことで私に相談したことがある。その時私はありのまま受け入れてやるべきだと言ったが、秋本君も姉さんもそれが出来なかった。だが私はおまえの言うことを信じようと思ったんだよ。……江里香はどんな顔で私を見ているのだろう。山本葉月は? 乾陽子は? 当時合宿のための、用具レンタルで出入りしていた私の申し出を、山本葉月は快く引き受けてモデルになってくれた。だが私が求めるものを、彼女は与えてはくれなかった。乾陽子もそうだ。そして江里香は、姉さんの忠告で私を避けていた。私はとても孤独で、すがるものが欲しかった……。」
そうだ、遼の言葉をそのまま頷いて聞いてくれていた大人は大貫だけだった。優樹に出会うまでは……。
「叔父さんが相談すれば、きっと田村さんは力になってくれたはずです。貴方は自分でそれを拒絶したんだ。」
彼に向き直った大貫の顔が、苦しそうに歪む。
「娘をもうけ、妻を持ち、幸せそうな家庭を築いたあいつに言えるわけがない。受け入れられるはずがないと思ったんだよ。……親にさえ拒絶された本当のおまえを、優樹君はあっさり受け入れた。それがどれだけ幸せなことか、わかるか? 」
わからなかった、今までは。自分も、気が付くのが遅ければ、大貫のように自分の闇の部分に苦しみ続けたのかもしれないのだ。
「取り返すことが出来ます。遅いなんて事はない。今からでも田村さんを信じることが出来るはずです。あの人は必ず力になってくれる。帰りましょう、叔父さん。」
「それは……。」
突然、遼は耳元で空気が激しく切り裂かれる振動を感じた。はっ、として彼が後ろを振り返ると、真後ろに迫ったクルーザーのフライブリッジの上から、神崎が銃を構えているのが見える。
「叔父さん! 」
右肩を押さえ、コクピットにうずくまる大貫に遼は駆け寄った。押さえる左手の指の間から血が滴り落ちる。
「遼、レバーを中立に入れるんだ。この辺りは岩礁が多い。スピードを落とさなければ危険だ。」
遼は言われた通りにレバーをゆっくりと中立に戻す。何度か大貫のクルーザーに乗って操船したことがあったため、操作に戸惑うことはなかった。
<本文>
マリーナに着くと、大貫は遼を車に残して自分が愛用している小型クルーザーに大型のシステムバッグを注意深く運び込んだ。このクルーザーは、大貫が会社を興したときに初めて購入した物で、型は古いがよく手入れされている。30フィートほどの船体にはフライングデッキが付き、コクピットにハードトップはなかったが、居心地の良さそうな小さなキャビンも付いていた。エンジンは最近になって4ストロークの船外型ガソリンエンジンを付けた為、出力も上がったと彼が田村に自慢していたのを遼は聞いたことがある。
出航の準備をする大貫を見ていた遼は、意を決し、車を降りてクルーザーに飛び乗った。既にエンジンはかかっている。
「降りるんだ、遼! 」
「……厭だ。このまま叔父さんを行かせられない。」
向こうから、サイレンを鳴らし神崎の車が近づいてくる。大貫はリモコンレバーを前方に倒し、ハンドルを握った。
桟橋から離岸していくクルーザーを見て、神崎は小さく舌打ちした。今一歩のところで間に合わなかったようだ。大貫の船は徐々にスピードを上げる。濱田が既に海上保安庁に連絡を入れたはずだが、外洋に出る前に追いつかなければ捕まえることが出来ないかも知れない。一度見失えば、このあたりの海に詳しい大貫が浅瀬を選んで姿を隠しながら逃走することは、容易に違いないのだ。
「神崎さん!この艇を借りましょう。」
田村が近くの係留所でナイトクルージングの用意をしていたクルーザーの持ち主に話をつけたようだ。係留ロープを外し、フェンダーと一緒に取り纏めて既に艇に乗り込もうとしている。
「助かります、田村さん。」
「なに、餅は餅屋、ですよ。この艇の持ち主は大貫と私の知人なんです。どうしても彼を捕まえたいが無線が通じないと言ったら快く貸してくれました。」
優樹も神崎に続いて艇に乗り込んだが、神崎はもう、何も言わなかった。
「この艇はツインエンジンで足が速く小回りも利きますし、フライブリッジですから大貫の船も見つけやすいはずです。すぐに追いついてみせますよ。少し、荒っぽい操縦になりますから気を付けてください。船は平気ですか? 」
田村の横で、神崎は自信なさそうに頷く。実際この手の小型艇に乗るのは初めてなのだ。優樹は心得たもので、バウスピリットで姿勢を低くし、田村の運転による揺れに備えているようだ。
離岸し、係留されている他のボートから距離を取ると、田村はすぐに加速した。大貫のクルーザーは既に内湾を抜けようとしていたが、その距離を田村は徐々に縮めていく。
神崎はホルダーから銃を取り出し、照準を決めやすいようにハンドレールで左手を固定するとその上に右手を添えた。
「神崎さん、大貫の艇は旧型のガソリンエンジンです。船外型ですから当てたら爆発するかも知れませんよ。」
エンジンを狙うであろう神崎に、田村は先に忠告する。
「それは、まずいな。遼君に怪我をさせるわけにはいかない。」
「船外に見えるプロペラ周辺を狙えば停船させられるかもしれません。」
目を凝らし、神崎は大貫のクルーザーのエンジンを見た。しかし激しく波立つ中に上下して見え隠れするプロペラを銃身の短いこの銃で狙うことなど、いくら腕に自信のある彼でも無理な相談だ。誤ってエンジンに当たれば、38口径の銃弾が爆発を誘発する可能性は大きい。
「難しい事言うなぁ……。他に停船させる方法はないんですか? 」
田村は暫く考えていたが、
「神崎さん、銃の腕に自信がありますか?」
と、彼の方を見ずに尋ねた。
「自慢じゃないが、以前いた機動隊狙撃班ではライフルだけじゃなく銃の方も信頼されていましたよ。」
「では大貫を撃ってください。」
「……。しかし相手は無抵抗だ。」
「気が付きませんか? 彼は叢雲学園のある岸壁に進路を取っている。あの周りは岩礁です。彼も傷を負えば操舵が思うようにならなくなってスピードを落とすでしょう。大貫が、自分だけならともかく遼君を危険にさらすとは思えません。ですが、悪くすると……。」
田村の言いたいことが、神崎にもわかった。
「よし、やってみよう。」
神崎は慎重にコクピットの大貫を狙った。
大貫のクルーザーが、叢雲学園のある岬に向かっている事に遼は気が付いていた。だが彼の意図するところは計り知れない。逃走するつもりならば外洋に向かうはずである。
「江里香を、返してあげようと思ってね。」
突然、それまで黙っていた大貫が口を開いた。
「返す? 」
聞き返す遼に彼は頷く。
「あの子の身体は叢雲学園下の岩礁の中に眠っている。本当はあの石膏像を返してやるつもりだったんだが、おまえがあれを見つけてしまったために出来なくなったんだよ。だからせめて、これを返そうと思ってね。」
大貫は足下のシステムバッグに手を置いた。遼には何の事かわからなかったが、その中には樹脂製の江里香の頭部像が入っていたのだ。
「おまえは死者の幻を見ることが出来るのだろう? 」
遼が大貫を見つめ返す。
「まだおまえが幼いとき、両親がそのことで私に相談したことがある。その時私はありのまま受け入れてやるべきだと言ったが、秋本君も姉さんもそれが出来なかった。だが私はおまえの言うことを信じようと思ったんだよ。……江里香はどんな顔で私を見ているのだろう。山本葉月は? 乾陽子は? 当時合宿のための、用具レンタルで出入りしていた私の申し出を、山本葉月は快く引き受けてモデルになってくれた。だが私が求めるものを、彼女は与えてはくれなかった。乾陽子もそうだ。そして江里香は、姉さんの忠告で私を避けていた。私はとても孤独で、すがるものが欲しかった……。」
そうだ、遼の言葉をそのまま頷いて聞いてくれていた大人は大貫だけだった。優樹に出会うまでは……。
「叔父さんが相談すれば、きっと田村さんは力になってくれたはずです。貴方は自分でそれを拒絶したんだ。」
彼に向き直った大貫の顔が、苦しそうに歪む。
「娘をもうけ、妻を持ち、幸せそうな家庭を築いたあいつに言えるわけがない。受け入れられるはずがないと思ったんだよ。……親にさえ拒絶された本当のおまえを、優樹君はあっさり受け入れた。それがどれだけ幸せなことか、わかるか? 」
わからなかった、今までは。自分も、気が付くのが遅ければ、大貫のように自分の闇の部分に苦しみ続けたのかもしれないのだ。
「取り返すことが出来ます。遅いなんて事はない。今からでも田村さんを信じることが出来るはずです。あの人は必ず力になってくれる。帰りましょう、叔父さん。」
「それは……。」
突然、遼は耳元で空気が激しく切り裂かれる振動を感じた。はっ、として彼が後ろを振り返ると、真後ろに迫ったクルーザーのフライブリッジの上から、神崎が銃を構えているのが見える。
「叔父さん! 」
右肩を押さえ、コクピットにうずくまる大貫に遼は駆け寄った。押さえる左手の指の間から血が滴り落ちる。
「遼、レバーを中立に入れるんだ。この辺りは岩礁が多い。スピードを落とさなければ危険だ。」
遼は言われた通りにレバーをゆっくりと中立に戻す。何度か大貫のクルーザーに乗って操船したことがあったため、操作に戸惑うことはなかった。
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